ピアノが学びにくくなった現在
高度成長期には、目的なくピアノを習う子どもが多く、練習せずに通う生徒が突然ピアノに目覚める瞬間を何度も目にしました。
現在は子供たちの習い事が増え、塾通いも一般的です。保護者は学びの機会を求めて、様々な活動を子どもに与えようとしますが、やがて「習い事の整理」の時期が訪れ、忙しさや負担を理由に活動を中断する人が増えています。
その場所に行って習えるものを、その場だけのものと考えていませんか?しかしどの活動も「家で取り組める」ことはありますし、日常生活に生かすことができます。
そんなに手をかけられない
もちろん、親だって一人の人間ですから、日々の生活や仕事に追われる中で、子どもの習い事に手間や時間をかけることに負担を感じることは自然なことです。忙しい毎日の中で、子どもの練習を見守ったり、送り迎えをしたりする余裕がないと感じる気持ちは、私も保護者の一人として深く理解しています。
しかし、子どもというのは、自然と楽な方向に流れていく傾向があるものです。適切な指導や支援がない状態が続くと、自己管理や自主性を育む機会が失われ、成長に必要な挑戦を避けるようになってしまいます。そのため、保護者や指導者による適度な関わりと励ましが、子どもの健全な発達には不可欠なのです。
押し付けを嫌う現代の親たち
親自身も様々な思い込みや先入観を持っているものです。自分自身の子ども時代の経験や、これまでの子育ての中で培った価値観が、判断に大きく影響を与えています。特に、子どもが活動を嫌がったり、抵抗を示したりする場合、親としては良心の呵責を感じたり、ネガティブな感情に悩まされたりすることがあります。「子どもが苦痛を感じているのではないか」「無理強いをしているのではないか」といった不安や懸念が生じ、結果として「子どもが嫌がっているのだから、この活動はもう終わりにした方が良いだろう」という結論に至ってしまうことは、私自身にも十分理解できる心理です。
しかし、現代では、多くの保護者が子どもの活動について安易な選択をすることに私は危機感を抱いています。
人は成長より安全を選ぶ
人は、成長よりも安全な選択を優先しがちです。ピアノを続けることが望ましいと分かっていても、家庭内での衝突が続いたり、仕事で親が十分なサポートができなかったりすると、「自分でやると約束したでしょう!」と言って、実践できない場合は活動を中止してしまうこともあります。
しかし、子どもは一人ではできないのです。
そのまま、ピアノをやめても、練習ができずに終わった子どもは、そのまま放置していても練習ができるわけがありません。
たいていの場合、「練習する時間がない」「練習をしない」「練習が辛そう」という理由で辞めてしまいますが、同じ理由を抱えたまま、いつになったら再開できるというのでしょうか。
心が育つと見通せる
以前通っていたの生徒さんが、ピアノのレッスンを再開することになりました。
保護者の方は意欲的でしたが、練習に関する不安も口にされていました。
これは、とても良い兆候です。
子どもは心の成長とともに、このような細やかなことにも気を配れるようになっていくのです。
しかし、小学校の低学年や中学年の子どもたちは、まだそのような自己管理や練習の計画を立てることが難しい発達段階にあります。この時期の子どもたちは、具体的な指示や支援がないと、自分で練習時間を確保したり、計画的に取り組んだりすることができないのが現実なのです。
ピアノはいつでもマイペース
さて、ピアノを小さい頃から始めると、音楽の基礎能力が育ち、演奏の技術が身につき、音楽を楽しむ習慣が自然と身につきます。中学生になると、自分から練習したくなり、難しい曲に挑戦したり、より深い音楽表現ができるようになっていきます。だから、小学生の時に「まだ上手に弾けない」「練習が大変」という理由でやめてしまうのは、もったいないことです。
ピアノには、音楽で自分を表現する楽しさや、心が落ち着く効果、新しい曲が弾けるようになる喜びなど、たくさんの良いところがあります。子どもたちも、自分なりのペースで音楽を楽しむことができます。練習があまりできない時期があったり、他の活動で忙しくなることもありますが、それは決して悪いことではありません。それは、その子どもと音楽との関係が変化している途中の段階かもしれません。私たち指導者は、そういった長い目で見た成長を大切にしています。
子どもの成長は葛藤とともにある
指導者は、長年の経験から知っています。子どもの成長は一直線ではなく、「できない」から「できる」までの過程には、様々な葛藤や困難が含まれることを。そして、その過程こそが、かけがえのない学びの機会となることを。
「習い事の整理」を考える前に、ぜひ立ち止まって考えてみてください。その活動が子どもにもたらす価値を、長期的な視点で見つめ直してみてください。時には遠回りに見える道のりこそが、子どもの真の成長につながることもあるのです。