無理をさせたくない気持ち
私はレッスンノートを使う中で、生徒への配慮から「できなくても大丈夫」と言い続けてきましたが、それが練習の本質を見失っていました。
私も子どもが困難に直面したとき「無理させたくない」という思いから要求水準を下げがちです。
例えば、レッスンノートで「できるようになった?」という質問を避け、練習回数だけを見て「やっているね」と返していた時がありました。
でも、宿題は次のレッスンまでに「できるようになっている」ことが目標です。確認せずに進むと、不十分な状態で練習を重ねることになり、問題の原因も把握できません。このレッスンノートの考案者である奈津子先生の
「できるようになった?」
という問いは、練習が効果的だったか、生徒が目標を達成できたかを振り返る重要な機会だったのですね。
私がこの確認を避けていたのは、私自身が向き合いたくない何かがあったからです。
練習が素直にできなくなったサインは成長の証
小さい時にできていた練習が年齢とともにできなくなるのは、むしろ生徒が成長している証と私は考えています。
私(指導者)が「できるようになった?」という確認をしっかりとすることで、生徒自身が自分の練習の成果と気持ちのズレ(葛藤)を認識できる状態になります。
レッスンノートを考案した奈津子先生は、「子どもが忙しい」「練習をしたくない」に寄り添ってしまうと、生徒はいつまで経ってもできるようにはならないと指摘しています。
忙しい中でもピアノを練習する時間を見つけるには、自分の葛藤と向き合う必要があるのですが、子どもは心が未熟なので葛藤を避けてしまいます。そうすることで、親から言われたことを、自分で考えもせず「これは、こういうものなのだな」と思ってしまうだけです。
私自身がそうです。ピアノ以外のやりたくないで済むことは自分からしないできたため、やらなければいけない義務をこなそうとする時に、葛藤があります。しかしやらなければ役目を果たせないので、なんとかできるように行動を始めます。でも内心は本当にドキドキしています。「自分にもできるだろうか」「自分には理解できるだろうか」と。しかし一人では参加することしかできないので、具体的なことは他の方に聞きながらやっていくことがほとんどです。
子どもは葛藤そのものがつらい
しかしこれらのことを生徒が自ら大人と同じようにはできません。葛藤すること自体がつらいのです。そのそのモヤモヤを持っているのは気持ちが悪いので、それを手放してしまうこともあります。それが逃避であったり、グズグズする行動に出たりします。
私も自分の親から「苦手なことにたいする努力の仕方」を教わっておらず、嫌なことにぶち当たる度に、避けたいと思ってきました。でも思い切って参加してみると、見えてくることもあり、まがりなりにも「このような状態になりたい」という目標が出てきます。
これを生徒に置き換えると、生徒たちもつまづいた時があるわけです。そこで指導者が生徒の葛藤を吐き出しさせて、自分の本心に気づけたら、そこからはじめて、自分のなりたい状態に近づくための行動が始まります。
子どもたちが自分の本心に気づく始まりが「できるようになった?」なんです。
自分のなりたい状態にフォーカスし、自分の行動に変えていくプロセスがとても自信になるからです。
行動をうながすには、「自分の心を整えること」がとても大事です。
私は、このレッスンノートが、子ども自身が葛藤をする機会を作り、子ども自身が「なりたい状態」に気づく方法だと腑に落ち、感動を覚えました。
その上で、子どもがこれは嫌だけどこれなら頑張れるという小さな方法や考えを発見して行動に移していく。これは時間のかかるプロセスですが、子どもの内側からの変化を促す、最も効果的な方法だと思っています。