
私は大きな見立て違いをしていました。
ピアノ・楽器・音楽がなくても、生きていける。
だから中学になっても続かなくても、困らない人は困らない。
でも逆に「続く」という条件になるのは、「好き」だからだけではないんですよね。
続けることで、音楽がだんだん 自分の表現になって、生きる力になって、安らぎになっていくから。
ピアノって、続けていると、
- 「できた/できない」を自分で引き受ける
- 工夫して積み上げる
- その結果として、「自分で自分を信じられる」感覚が育つ
という経験が、繰り返し起きます。
そして続けるほど、「続ける/続けられない」のせめぎあいも増えていく。
でも、そのせめぎあいを抜けていくことで、結果として「生きる力」が強くなるんだな、と感じています。
不安を「現実」に戻すことが、生きる力
子どもって、できないことや不安なことで無気力になります。
でも、その世界って、想像でふくらみやすい。
生きる力って、現実を見て、現実的な行動をすることで自信を得ていくしかないと思っています。
たとえば、うちの子どもが学校で借りた本をなくしてしまったとき。
「学校に行きたくない」と泣くほど、本人の中では大事件になります。
本をなくしたのは子どもだけの責任じゃないかもしれないし、親の管理の問題もあるかもしれない。
でも現実問題として、大事なのはまず「今、何ができるか」です。
- まず家の中を一緒に探す
- それでも見つからないなら、図書館の先生に会って謝る
不安を現実に即していく。
今できることをする。
その積み重ねが、生きる力をつけていくんだと思います。
ピアノなら、「練習する/練習しない」がはっきりしている。
しなければできないし、すれば、少しずつでも進んでいける。
進んでいけたら、それはだんだん自分の表現になって、その都度、自信になって、結果的に、支えや安らぎになる。
だから、振り返りができると人生が生きやすくなる。
「ここはがんばった」「ここは次こうしたい」って、現実を見て、自分で決めていけるからです。
そして、その状態(=生活に音楽がある)は、才能とか気分じゃなくて、“続ける経験”の積み重ねでできる。
しかも「弾く」に限定しない。聴く、歌う、推す、観る、何でもいい。どんなものでも音楽には通じる。
だから「楽しく習えればいい」「楽しくなくなったらやめればいい」だけだと、そこに届かない。
それを家庭に作るには、保護者も一緒に、日々の積み重ねを作る必要がある。根っこは、家で音楽を家族と共有すること。
たとえばピアノの練習をしていたら、「している/していない」になりやすい。
でも家で歌を歌っていたら、それは「歌っている/歌っていない」で評価するものではないですよね。
生活の中に音楽があるっていうのは、それをすること・しないことが「評価にならない」ってことで、着地点なんだと思います。
「続けるぞ」って気合いを入れなくても、「降りるぞ」ってあきらめなくても、勝手に続いてる。評価から降りてる。
だからピアノがもし止まっても、音楽がゼロにならない。
むしろ音楽が残ってるからこそ、また戻れる余地も残るからです。