
ピアノのレッスンをやめる。
それは、誰にでも訪れることです。
ただ、ここ最近は、それが加速しているように感じています。
私がいちばん問題だと思っているのは、ピアノのレッスンをやめると、なぜかセットで「ピアノを弾く生活がなくなる」ことです。
私はもしかすると、ピアノを弾くことを“お勉強”のように指導してきてしまったのかもしれない。
そんなふうに思うようになりました。
私自身は、ピアノを勉強だと思ったことが、ほとんどない生活をしてきました。
だから、ピアノを「やめる」という選択をしてきたこともありません。
ピアノをやめようと思ったこともありません。
もちろん、ピアノを弾かなかった時期はあります。
1か月に2、3回しか弾かないこともありましたし、翌月もまた2、3回しか弾かない、ということもありました。
でも、そんなふうに弾かない期間があっても、「弾かない状態」が1年以上続くことはありませんでした。
母は家でピアノの先生をしていて、父は音響メーカーに勤めていました。
時々、会社の作ったレコードを持って帰ってきたり、初代ウォークマンを買ってきてくれたり。
クラシックに限らず、「生活に音楽がある」ということが、私にとってはごく普通にありました。
私はたまたま音大付属高校に進み、音大にも進学し、就職はゲームメーカーのサウンド開発課へ入りました。
途中でカラオケ開発課に移動した時も、そこには当たり前に音楽がありました。
会社をやめて、ピアノ指導者に戻ってからも同じです。
音楽が当たり前にあり、いつも音楽をしている状態が、私にとっては“普通すぎる普通”でした。
でも、お子さんにとっては、ピアノが「当たり前の音楽」ではなく、「勉強」のようになってしまっているのかもしれない。
練習ができないことが、そのまま「ピアノがない生活」につながってしまうのだとしたら、そこに私の反省があります。
現代の子どもたちは、音楽を楽しむ余裕がないのか。
あるいは、楽器は習得すること自体が大変で、楽しむところまで行きにくいのか。
それは私の感覚と違うのかもしれませんが、私にとっては大きな反省です。
ピアノのレッスンをやめたら、ピアノを弾く機会そのものが、そもそもなくなってしまう。
それは私が望んでいた結果ではありません。
もちろん、私の仕事としてもつながらない。
そして、私の生き方としてもつながりません。
それって、ピアノを本当の意味で楽しめてない結果だと思いました。
今年はそれをどんな形でも変えていきたい。
幸いなことに、ピアノを楽しめている生徒さんもいます。
彼ら彼女らから、得ることはたくさんあるはず。
ひさびさに、心が苦しい日々ですが、模索していきたいと思っています。