息子の抵抗と公平さの板挟み
私の価値観では、正直これらの状況を全く受け入れることができませんでした。
その年の6月頃から、長男が塾に行きたがらなくなりました。学校から帰ってくると、ごろごろして過ごし、宿題もゆっくりと始めるのですが、塾の時間になると強く抵抗するのです。
励まして何とか行ける時もありましたが、どんなに促しても立ち上がろうとせず、まったく動けない時もありました。この子たちが双子なのもあって、私は公平さを重要視するあまり、娘が行く気持ちでいるのに、息子だけ「行かなくていい」とは言えない複雑な思いがありました。
~わかってあげたいのに~というジレンマ
ある日のこと、3人で塾に向かう途中、子どもたちが突然「行きたくない」と言い出し、私は途方に暮れてしまいました。授業料は既に支払済みだし、授業を無駄にしてはいけないという私の価値観が、子どもたちの「行きたくない」という気持ちへの怒りに変わっていきました。
結局、私はその場でキレて「もう知らないから、行きたくない人は行かなくていい!」と言い放って、その場に立ち尽くすことがありました。しかし、私が子どもたちの意思に「任せる」のは早計だと思っていました。なぜ自分がこんなにも苦しくなってしまうのか考えてみました。
出来ないことを受け入れられない私の本質
私は好きなことを追求し続けてきた人間なので、やりたくないことに対する忍耐力が身についていません。
ただし、大好きなピアノでさえ時には大変なことがあります。特に8年前にメニエール病を患った時は、音楽ができなくなるかもしれないという危機に直面し、症状との闘いに苦しみました。
それを思い出すと、自分は「やりたくない」「できないかもしれない」「他人にみっともない姿を見せるかもしれない」という不安を抱えており、優等生を演じてきた自分には「できないこと」を受け入れられないのだと気づきました。
また自分には「これはやりたい」と思うと子どものように没頭してしまい、やりたいことを後回しにできない傾向があることにも気づきました。