「熱心な先生ですね」
この言葉をいただく時、私はいつも少し複雑な気持ちになります。確かにその評価は温かいものですが、私が目指しているものとは少し違うように感じるのです。
「熱心」という言葉で評価される時、それは往々にして
・感情に共感を示すこと
・具体的な提案をすること
・最後まで諦めない姿勢
といった表面的な部分を指していることが多いように思います。
しかし、私が本当に大切にしたいのは
・一人一人の音楽との出会いを静かに見守ること
・その子なりのペースを受け入れること
・長期的な視点で音楽教育の価値を伝えること
時には、保護者の方から「音楽が好き」という言葉を聞きます。でも、その「好き」という感覚だけでは、本当の音楽との関わりは生まれません。むしろ、その言葉に安易に同意してしまうことで、より深い対話の機会を逃してしまうかもしれないのです。
指導者に求められているのは、表面的な「熱心さ」ではありません。それは、一人一人の生徒さんや保護者の方と真摯に向き合い、音楽教育の本質的な価値を粘り強く伝えていく姿勢なのだと思います。
「熱心」という言葉の向こう側には、もっと継続して趣味になるまでの教育への思いがあります。
ピアノ学習において、単なる「好き」という感情だけでは長続きしません。むしろ
・時には楽しく、時には難しく感じる瞬間
・練習に打ち込める時期もあれば、なかなか向き合えない時期もある
・「やりたくない」「めんどくさい」という感情と付き合う時期もある
このような様々な経験を重ねながら、少しずつ自分なりの音楽との関わり方を見つけていくのです。
大切なのは、そういった浮き沈みのある過程そのものが、実は成長の機会となっているということ。これこそが、長期的な音楽教育の本質的な価値の一つなのかもしれないなと思うのです。