ソレイユピアノ教室

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小4からの「好きを育てる」ピアノクラス

小4からの「好きを育てる」ピアノクラス

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「好きを育てるクラス」のねっこは、“生活に音楽を”です。

入口は「楽しそうだから習いたい」で大丈夫。

でも私がこのクラスで一番大事にしたいのは、音楽が「楽しい」だけで終わらず、だんだん自分の表現になって、支え安らぎになっていくところまで、一緒に育てていくことです。

私自身が大きな思い違いをしていたことにも気づきました。世間一般の多くの方は、最初から「続けよう」と思って始めるわけではない。弾けるようになるのが楽しいから始めて、弾けなくなったり、そこに向かえなくなるとやめる。そこは自然な流れなんだなと。

続けていくと起きること

続けていると、

「できた/できない」を自分で引き受けて、工夫して、積み上げる経験が増えていきます。

その繰り返しの中で、“自分で自分を信じられる” 感覚が育っていく。

ただ、それは一直線ではなくて、「続ける/続けられない」のせめぎあいが何度も起きます。

そこで踏ん張ったり、やり方を変えたり、誰かに頼ったりしながら抜けていくと、結果として 生きる力が強くなる

そして、その到達のスピードを上げるのが「生活に音楽がある」状態です。

家で音楽が共有できていると、ピアノが“評価”になりにくい。

できた/できないで自分を裁くのではなく、音楽が日々の中に残って、続けること自体が自然になっていきます。

逆に、家庭の中に「できる/できない」「続ける/続けられない」の評価軸が強いと、ピアノは評価になりやすい。

その評価を避けるために、「楽しい/楽しくない」を基準にしてやめていく、ということも起きやすいのかなと思っています。

このクラスの約束(親御さんにも宿題)

このクラスでは、親御さんにも宿題があります。

それは「どうやって音楽を家に持ち込めますか?」を一緒に考えて、お子さんと音楽を共有できる状態を作ることです。

ここで言う“共有”は、練習を気にすることや、声かけを頑張ることだけではありません。たとえば、

  • 家で一緒に歌う
  • 親御さんが久しぶりにピアノに触ってみる
  • 一緒に音楽を聴く
  • 「この曲いいね」って、同じものを好きだと言える時間を作る
  • 音楽に触れるイベントに行ってみる

どんな形でもいい。やり方は自由です。

こちらで与えられる機会はもちろん、音楽に興味をもってやれることは全部してみてほしいです。

こういうものが家にないと、正直、音楽は続けにくいです。

だからこそ、うまくいかない時も含めて、相談しながら“家に音楽が残る形”を一緒に作っていくのが、このクラスです。

もし、レッスンを続けられなくなったら

もしも生活の都合などで、どうしてもレッスン自体を続けられなくなった場合でも、ここで終わりにしたくありません。

そのときは、まず必ず相談をして、

  • レッスンは一区切りにするのか
  • しばらく休むのか
  • レッスンを受けない形で、家で続けられる道を作るのか

その子とご家庭に合う形を一緒に探します。

目的は「レッスンを続けること」だけではなく、音楽が生活に残ること

だから、終わり方まで含めて、一緒に整えていきます。

大、大反省。生徒さんの受験勉強で思うこと ~生活に音楽があるためには~

ピアノのレッスンをやめる。

それは、誰にでも訪れることです。

ただ、ここ最近は、それが加速しているように感じています。

私がいちばん問題だと思っているのは、ピアノのレッスンをやめると、なぜかセットで「ピアノを弾く生活がなくなる」ことです。

私はもしかすると、ピアノを弾くことを“お勉強”のように指導してきてしまったのかもしれない。

そんなふうに思うようになりました。


私自身は、ピアノを勉強だと思ったことが、ほとんどない生活をしてきました。

だから、ピアノを「やめる」という選択をしてきたこともありません。

ピアノをやめようと思ったこともありません。

もちろん、ピアノを弾かなかった時期はあります。

1か月に2、3回しか弾かないこともありましたし、翌月もまた2、3回しか弾かない、ということもありました。

でも、そんなふうに弾かない期間があっても、「弾かない状態」が1年以上続くことはありませんでした。


母は家でピアノの先生をしていて、父は音響メーカーに勤めていました。

時々、会社の作ったレコードを持って帰ってきたり、初代ウォークマンを買ってきてくれたり。

クラシックに限らず、「生活に音楽がある」ということが、私にとってはごく普通にありました。

私はたまたま音大付属高校に進み、音大にも進学し、就職はゲームメーカーのサウンド開発課へ入りました。

途中でカラオケ開発課に移動した時も、そこには当たり前に音楽がありました。

会社をやめて、ピアノ指導者に戻ってからも同じです。

音楽が当たり前にあり、いつも音楽をしている状態が、私にとっては“普通すぎる普通”でした。


でも、お子さんにとっては、ピアノが「当たり前の音楽」ではなく、「勉強」のようになってしまっているのかもしれない。

練習ができないことが、そのまま「ピアノがない生活」につながってしまうのだとしたら、そこに私の反省があります。

現代の子どもたちは、音楽を楽しむ余裕がないのか。

あるいは、楽器は習得すること自体が大変で、楽しむところまで行きにくいのか。

それは私の感覚と違うのかもしれませんが、私にとっては大きな反省です。

ピアノのレッスンをやめたら、ピアノを弾く機会そのものが、そもそもなくなってしまう。

それは私が望んでいた結果ではありません。

もちろん、私の仕事としてもつながらない。

そして、私の生き方としてもつながりません。


それって、ピアノを本当の意味で楽しめてない結果だと思いました。
今年はそれをどんな形でも変えていきたい。
幸いなことに、ピアノを楽しめている生徒さんもいます。

彼ら彼女らから、得ることはたくさんあるはず。

ひさびさに、心が苦しい日々ですが、模索していきたいと思っています。